1952-05-26 第13回国会 衆議院 郵政委員会 第17号
○受田委員 こうした歴史的な郵政省復元という大戰果をあげたこの機会に、郵政省が簡易保険を通じて、大衆にほんとうに親しまれ、大衆の便益を與える省であるということをはつきりさせなければならないし、郵政省がこの国の行政機関として非常に重視せられるという一段階をここに画したわけでありますが、こういう重大な段階において、この運用権が復元をした機会に、簡易保険局がある程度機構の上において、相当大幅に拡大強化されて
○受田委員 こうした歴史的な郵政省復元という大戰果をあげたこの機会に、郵政省が簡易保険を通じて、大衆にほんとうに親しまれ、大衆の便益を與える省であるということをはつきりさせなければならないし、郵政省がこの国の行政機関として非常に重視せられるという一段階をここに画したわけでありますが、こういう重大な段階において、この運用権が復元をした機会に、簡易保険局がある程度機構の上において、相当大幅に拡大強化されて
しかもこのようなものは今後ますます必要になつて来るのでありまして、この重要なる稀少物資を台金の材料にして使いました結果が、朝鮮における戰果となつて現われ、アメリカがいかにあせろうとも思うようにならないと云う世界の政治、経済の形相を呈しているのであります。それにつながる日本がアメリカから武裝を要求されました、その條約的な面が日米安全保障と行政協定であります。
しかしながらわれわれはあとから参考資料を提出いたしたいと思うのでありますが、この五十九万四千というのは、終戰の年の九月と承知いたしておりますが、そのときに赤軍が発表いたしました対日戰の戰果という報告の中に、日本人を五十九万四千以上を捕虜としたということをいわれておるのであります。
この発言は戰争中における大隊長、中隊長というような軍部の将校が、兵隊の戰死して行くのを、これは戰闘のためにやむを得ない犠牲者だ、どんどん死んで行つても、そのかわりに戰果が大きければいいといつたような発言と、ほぼ同様のものと考えるのであります。
○委員長(岡元義人君) そこでもう一遍伺つて置きたいのですが、九月十二日に思わゆる戰果について、私が今戰果と申しますのは、宗像証人の証言にありましたように、いろいろな鹵獲兵器一切が含まれて発表している、ですから戰果である、こういう工合に解釈しておりますから。これをラジオで放送したことを宗像証人御承知ですか。
○証人(加藤善雄君) 自分が八十六万七千と言いましたいわゆる基礎でありますが、一九四六年の三月、ウオロシロフにおいて道路作業をやつたのでありますが、そのときソ側の歩哨でカリーニンというのが日ソ戰の総合戰果というパンフレツトを持つて来ております。
○淺岡信夫君 重ねて、その歩哨カリーニンとあなたとの、これをあなたが了知された時の問題を更に詳しく私お尋ねしたいのですが、そのカリーニン歩哨が誇らげにいろいろ日ソ総合戰果の発表、そうしたものを見て語つたというのですが、その日ソ総合戰果の発表、或いはパンフレツト、或いは新聞のそうした面について、あなた自身もそうした新聞とか、或いはその発表のパンフレツトとかいうものを直接御覧になつたかどうか。
一方中共地区におきましては、中国共産党が戰果を拡大し、漸次国民政府軍を圧迫し、戰線を拡大したため、各地に分散、戰争、技術、その他に留用されるとともに、婦人、老人、小兒などのいわゆる難民階級は、きわめて悲惨な毎日を繰返すの余儀なきにある実情であります。この非人道的行為に対して全国協議会は、去る八月十日の全国留守家族大会における憤激は、中共毛澤東主席あての懇請公開状となつてあらわれました。
この地域に中共が最近進出をいたしまして、そうしてその戰果は、殊にこの一年間におきまして、非常に顕著なものがあるという事態に立至つたわけであります。華中における中共軍の進出ということは、これは極めて注目すべきものでございまして、中共と國府軍の勢力関係において、特に重視しなければならん点でもあると考えられるわけであります。
そうしてこの時期におきましては、例えば熱河チヤハール方面におきましてはビルマ戰線で活躍いたしました米式装備の精鋭五ヶ軍、これを熱河に進撃させまして、直城承徳を無血占領し赤峯を陥れ更に中共の第二の首都でありました張家口を占領するという戰果を挙げたわけであります。それから延安地方におきましては、四七年の三月十九日に遂に中共の首都でありました延安を占領するという状態でありました。
その関係で、調査会というものをつくりまして、五月の二十八日に、会員五百人も使いまして相当の戰果をあげたが、その費用がかかつたので、会で集めた物資がそのままになつておりまして、いかんとしても政府はこれの処理をしてくれないので、私の経済は非常に行き詰つたわけです。